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福井地方裁判所 昭和32年(行)1号 判決 1960年10月19日

原告 畑六右衛門

被告 福井県知事

主文

被告が昭和二二年七月二日及び昭和二三年二月二日の二回に亘り別紙目録(四)記載の農地につき為した買収及び売渡処分は無効であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告が昭和二二年七月二日及び昭和二三年二月二日の二回に亘り別紙目録(四)記載の農地について為した買収及び売渡の各処分は無効であることを確認する、仮に右各処分が無効でないとすれば、右各処分を取消す、との判決を求め、その請求原因として、

(一)  被告は昭和二二年七月二日及び昭和二三年二月二日に亘り自作農創設特別措置法(以下自創法と言う)第三条第一項、第一六条により、原告所有の小作地が、いわゆる、保有面積(小作地として法律上所有することを許された面積の意味以下同じ。)九反歩を超過するものとして、別紙目録(三)記載の農地合計三反四畝一一歩につき買収処分を為し、同記載のとおり売渡処分を為した。

(二)  けれども、昭和二〇年一一月二三日(以下買収基準日と言う)現在原告は別紙目録(一)記載の(1)ないし(23)の合計七反七畝九歩の小作地しか所有していなかつたものであるから、いわゆる、保有面積九反歩を超過して小作地を所有していたものに当らない。それ故に右買収及び売渡の各処分は明白且つ重大な瑕疵があり、もとより無効である。

(三)  そこで右違法な処分が為されるに至つた原因をみるに、原告の息子畑常雄が、以前、鶉村において別紙目録(一)の(24)ないし(36)記載の農地合計三反一畝二歩を所有していたが、昭和一八年六月一四日これを訴外村上栄太郎に売却しその引渡も完了し事実上は村上の所有となつていたのに、その後常雄が応召し戦死したため、その所有権移転登記手続が遅れていたが、そのため、右農地が原告所有の小作地と誤認せられ、原告所有の小作地の合計が保有面積を超過するものとして、前記のとおり内三反四畝一一歩について買収及び売渡の処分に付されたものである。

(四)  その後所轄農地委員会は、右買収及び売渡の処分は違法であることを認め、昭和二九年六月一九日別紙目録(三)の(一)の(3)、(5)、(二)の(2)記載の三筆(合計一反二一歩)の農地について、右各処分を取消したけれども、同目録記載のその余の農地、すなわち、別紙目録(四)記載の農地についての買収及び売渡の処分を取消さないから右農地についての買収及び売渡処分の無効確認と、予備的にその取消を求めるため本訴に及んだ。

と述べた。

(立証省略)

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、との判決を求め、答弁として、原告主張の事実中、被告がその主張の日時、別紙目録(三)記載の農地合計三反四畝一一歩につき買収及び売渡の各処分を為したこと、その主張の保有面積が九反歩であつたこと、その後その主張の如く被告が右買収及び売渡の各処分の一部一反二一歩につき取消したことは認めるが、その余の事実は否認する。すなわち、

(一)  被告が原告主張の如くその所有小作地の面積が保有面積を侵害して買収及び売渡の各処分を為した場合でも、違法な処分として単に異議、訴願の対象となり、取消の事由とはなつても、右各処分が法律上当然に無効となるものではない。

(二)  そして基準日現在、原告は別紙目録(二)記載の農地合計一町三反八畝一七歩(内水面五畝三歩)を小作地として所有しその保有面積を超過していたので、その内別紙目録(三)記載の農地合計三反四畝一一歩につき買収処分を為し、且つ同目録記載の者に対し売渡処分を為したものであつて、右各処分は何等の瑕疵もない。

(三)  ところが、原告は右各処分を不服として再三訴願したので、県農地委員会は現地調査を行い、原告及び売渡を受けた者と熟議の末原告主張の如く右買収及び売渡の処分の一部を取消し和解したのである。

と述べた。

(立証省略)

理由

被告が昭和二二年七月二日、昭和二三年二月二日の二回に亘り、基準日現在原告の所有する小作地が保有面積九反歩を超過する理由で、別紙目録(三)記載の農地につき買収処分と同書記載のとおり売渡処分したことは当事者間に争がない。

そこで、基準日現在原告所有の小作地の面積が幾何であつたかについて考えるに、右日時現在原告が別紙目録(一)記載の(1)ないし(23)の小作地を所有していたことは当事者間に争がない。

よつて、先ず、別紙目録(一)記載の(24)ないし(36)の農地合計三反一畝二歩が基準日現在果して原告の小作地であつたかどうかについて検討する。

右農地の内(24)ないし(36)の農地は、もと、鍛治林の所有で、昭和一八年四月一〇日同人から原告の息子常雄に売渡され、昭和二一年一月一四日その所有権移転登記を経たことは、官署作成の部分の成立については当事者間に争がなく、その余の部分の成立につき証人鍛治林の証言により真正に成立したと認められる甲第一八号(売券証)によつて明白であるけれども、証人鍛治林、村上栄太郎の証言、原告本人尋問の結果(第一回)並に成立に争のない甲第一七号証(農地台帳)乙第一号証の二(村上栄太郎調書)、第三号証の一、二(調停申立書、調停調書)、甲第二四号証(調停調書)、第二五号証(知事許可書)を綜合すると、右農地は鍛治林所有の当時から引続き村上栄太郎が小作していて、昭和二二年七月二八日同人が代金七、五〇〇円で原告(常雄は当時応召し、昭和二〇年七月一五日死亡し同人の遺産は原告が相続していたことは、原告本人尋問の結果により真正に成立したと推認せられる甲第二二号証により窺知される。)から買受け、昭和二六年四月一三日右売買につき知事の認可を受けていたこと、その所有権移転登記が未了の間に諸物価が高騰したため、右売買代金につき両者の間に紛議が生じ、結局、村上から原告に対する福井簡易裁判所昭和二七年(ノ)第三五号土地所有権移転登記民事一般調停事件において同年五月一〇日代金を金三一、二〇〇円に増額することに調停が成立したが、その後さらに、原告から村上に対する同裁判所同年(ノ)第六四号追加金民事一般調停事件において同年七月三一日、さらに金四、〇四〇円を増額することに調停が成立したので、右知事の許可により村上がその所有権移転登記を受けるに至つたこと、その間村上は引続き右各農地を小作して来たことが認められ、証人村上栄太郎の証言及び原告本人尋問の結果(第一、二回)中右認定に反する部分は、にわかに措信できない。

右認定の事実からみると、右農地が常雄の所有となつたのは昭和一八年四月一〇日とみられ、右農地が村上の所有となつたのは旧農地調整法第四条第一項、第五項の関係から前記知事の農地移動の許可のあつた昭和二六年四月一三日とみるべきで、その間村上は右農地を小作しておいたものとみられる。一方、常雄は基準日現在応召死亡していて、原告が右農地を相続していたことは、すでに認定したとおりであるから、右農地は基準日現在原告所有の小作地であつたものとみられる。

つぎに、別紙目録(一)記載の(35)の農地は、もと、東甚松の所有であつたが、昭和一八年五月八日同人から常雄が買受け、昭和二〇年一二月二四日その所有権移転登記を経たものであり、同(36)の農地は、もと、杉田与五三郎の所有であつたが、昭和一五年五月五日同人から常雄が買受け、昭和二一年一月七日その所有権移転登記を経たものであることは、いずれも官署作成部分の成立については当事者間に争がなく、その余の部分の成立につき原告本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認められる甲第二〇号証、第二一号証により明白である。一方、成立に争のない甲第一七号証(農地台帳)並に証人走坂義夫の証言を綜合すると、右二筆の農地共基準日現在右村上栄太郎が小作していたことが判り、常雄が死亡し、当時原告が右各農地を相続していたことは、前段認定のとおり明白であるから、右二筆の農地共基準日現在原告所有の小作地であつたとみなければならない。

さらに、別紙目録(二)記載の(1)ないし(5)の各農地についてみるに、右各農地が原告の所有であつたことは、成立に争のない甲第一七号証(農地台帳)によつて明白であるが、同時に同号証により基準日現在右農地の内(1)ないし(4)の各農地を小作している者はなかつたことが判り、同(5)の農地は友永某が耕作していたことが判る。

それ故に右(5)の農地のみが基準日現在原告所有の小作地であつたと認められる。

以上認定事実を綜合すると、基準日現在、別紙目録(一)記載の各農地及び別紙目録(二)記載の(5)の農地の合計一町九畝二三歩(内水面五畝三歩)が原告所有の小作地であつたとみることができる。

ところで、被告は右原告の所有小作地が保有面積九反歩を超過するとの理由で、その内別紙目録(三)記載の農地につき買収及び売渡の処分をなしたが、その後その一部を取消し、現在別紙目録(四)記載の農地についての買収及び売渡の処分が、その侭効力を存続していることは当事者間に争がない。

しかし、別紙目録(四)記載の農地の合計は二反三畝二〇歩に達し、これを、右基準日現在の原告所有の小作地一町九畝二三歩から、水面として耕作不能の面積五畝三歩を控除し、さらに、原告に保有を許された九反歩を控除した一反四畝二〇歩について買収及び売渡処分しかできなかつたと言うべきであるのに比較して九畝歩だけ上廻つて買収及び売渡処分したこととなり、右各処分には、その各処分を無効とするに足りる重大にして且つ明白な瑕疵があつたものと言わなければならない。

ところで、成立に争のない甲第七号証、第九号証ないし第一六号証、によると、別紙目録(四)記載の(1)、(3)、(5)、(6)、(7)、(8)の各農地は昭和二二年七月二日に、(4)、(9)の農地は昭和二三年二月二日に、(2)の農地は日時不詳であるが、本件弁論の全趣旨により右両日時の内の何れかの日時に、それぞれ買収及び売渡の処分されたことが判る。そして最初の昭和二二年七月二日の買収及び売渡の処分のみで(2)の農地を除いてみてもすでに合計一反五畝二三歩((1)、(3)、(5)、(6)、(7)、(8)の農地の合計)に達しているから、保有面積を一畝三歩(一反五畝二三歩から前記一反四畝二〇歩を差引いたもの)だけ侵害していることが判り、その一畝三歩につき右各処分は無効であると言わなければならない。けれども、右農地の内何れの農地を買収し、売渡処分するかは行政庁の自由であつて、当裁判所の干渉すべき事項でないから、裁判所としては前記一反五畝二三歩の買収及び売渡の処分は全部無効であることを確認する外ない。従てその後(4)、(9)の農地につき為された昭和二三年七月二日の買収及び売渡の処分は、(2)の農地についての各処分と共に、同一理由で、もとより無効である。

よつて原告の請求を認容し、訴訟費用につき行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 神谷敏夫 可知鴻平 川村フク子)

(別紙目録省略)

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